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ラスト・タンゴ
別冊マーガレット 1977年12月号に掲載。
掲示板での募集に、けろここさんからご提供いただきました。
けろここさんに大感謝。
日向亜沙子。その名は知っていた。
・・・業界屈指の日向コンツェルンの令嬢としての社交的な地位も確かなものだったが、なにより美しい天才少女ピアニストとして知られていた。
・・・その人はいつも薔薇の香りのなかにいて、絹の光沢と、宝石のきらめきをまとい、羽毛のように笑っていた。
そして、出会った。
クリスマスの夜。日向家はパーティーで賑わっていた。ピアノの音が流れる中、亜沙子はいつものように高埜直也と踊っていた。だがふと、亜沙子の足が止まる。このピアノ・・・・。
「どなた? このピアノはどなたが?」
その問いに立ち上がったのは一人の青年だった。このパーティーの席にセーターとジーンズと言う軽装。社員の一人が、慌てて「彼は本社の臨時社員なのですが、ピアノを弾きまして。ぜひ本日は弾かせて欲しいと・・。お気に召しませんでしたか?」と説明する。
・・・このわたしの前で弾きたいと・・・。なんという眼をして・・・。・・・なんというピアノを弾くのだろう・・・。
亜沙子の心にその青年は強い印象を与えた。
2月も近づき、亜沙子はコンクールの準備に忙しい日々を送っていた。
彼女のピアノは華麗にしてきらびやか。豊かで鮮やかで、聞く人の感情を魅了してはなさない。
そして、あの夜のダンスの相手である高埜直也は、そんな彼女をいつも温かく見守っていた。
「2月のコンクールはかつてない規模なのですって。予選と本選が数日置きに3回・・・・。休めるのでしょう? 高埜貿易の若社長さん」
なにげなく言い放つ亜沙子。けっして口には出さないが、直也に来て欲しいと思っているのだと、彼女を心から理解している彼にはわかっていた。
いよいよピアノコンクールの本選の日が来た。直也は亜沙子のそばにいた。
「あなたは落ち着いているね。いつものように」・・・・いつものように、僕がいるからだとは言ってはくれまいね。
出番が来て、見事に演奏する亜沙子。
ほっとして直也と笑みをかわす顔が、次の演奏者を見てこわばった。
森村洸と紹介された人は、あのクリスマスの夜のピアニストだったのだ。
彼の指が生み出す音は、聞く人の心に重く深く沈みこんだ。沁み込んで消えないその音は、それでいて決して形にとらわれず自由で、奔放でさえあった。
彼の音に魅了された亜沙子は、負けてもいい・・・と思う。
そして、発表。優勝は「日向亜沙子」。
うそ・・・なぜ彼じゃないの? 納得出来ない亜沙子は、審査員に詰め寄った。 だが、審査員たちは「彼は底知れない力を秘めてはいるが、自己流だし、型破りすぎて地味で矛盾しているし、未熟だ」と譲ろうとしない。
「わかってらっしゃらないんですわ。こんな気持ちで優勝なんて・・・」と食い下がる亜沙子の前に、森村本人が現れる。
「それはあなたのプライドの問題でしょう。それだけで僕は満足です。それ以上の言葉はむしろ屈辱だ」という彼。冷静に拒絶する彼にムキになって反論しようとするが、本人がそう言うのならとその場は引き下がるのだった。
その日以来洸のことが気になって仕方のない亜沙子。自ら会社に出向いてアルバイト名簿を調べることまでする。
「森村洸・広報課で書類整理のアルバイト。両親死亡、兄弟なし、独身。定時制高校普通科卒。」
亜沙子は彼がたった一人で、音楽系の学校へも行かずにいることに驚く。
なんとか彼に近づきたい亜沙子は、彼を会社で呼び出して食事に誘ったりするが、社長令嬢の傲慢として拒否されてしまう。
彼が幼い頃から下宿している家まで訪ねた亜沙子は、そこの娘から洸の詳しい生い立ちを聞く。
洸の父が指揮者だったこと。が、指揮者としての機会に恵まれずに酒に逃げていたこと。そんな父からピアノを習い、どんなに生活が苦しくてもピアノだけは手放さなかったこと。独学でここまできたが、最近は行き詰まってきたようで辛そうだと言うこと。
亜沙子はそれを聞いて、何かしてあげたいと思う。
そして洸をパーティーに呼び、その席上で「父があなたの後見人になってくれたわ。ウィーンに行ってピアノだけ弾いていればいいことになったのよ」と告げる。だが、惨めな気持ちで激しく反発する洸。「あなたは押し付けることしか出来ないのか。僕がどんな気持ちで・・・。悪気はないのだろうけど、同情などまっぴらだ」
愕然とした亜沙子はひとり部屋で泣きじゃくる。そこへ入ってくる直也。「誰もあなたをわかっていない。」と、優しくキスしようとする彼。だが、寸前で亜沙子は拒否する。
同情なんかじゃない。私は森村洸を愛している。亜沙子はようやく自分の気持ちをはっきりと自覚するのだった。
自らの心の赴くまま、洸に会いに行く亜沙子。
「愛しています。でも、どうやって愛すればいいの。どうすれば届くの、あなたの心に」
あまりにも真っ直ぐな感情にたじろぐ洸。
「僕にあなたを受け止められると思うのか・・!? 育った世界も生き方も考え方も何もかも違いすぎる。同じところなど何一つないんだ」
「あるわ! ピアノがあるわ!」
ピアノと言うただ一点をよすがにして必死にぶつかる亜沙子。
そんな真っ直ぐな亜沙子の思い・・・今までのこともおごりではなく、本当に心から生まれたままの感情で・・・ゆがめてこだわってきたのは自分の方だったのだと洸は知る。だが、現実を考えれば洸が受け入れられるはずもない。彼女にひかれる自分を必死で抑えながら、洸は背を向けるしかなかった。
そんな折、洸の元へ一通の航空便が届く。2月のコンクールのときの審査員の一人、ヴィーラント氏からの留学の誘いだった。費用は出世払。自分の力で留学出来る事に洸は喜ぶ。
彼が行く事を知った亜沙子は自分もついて行こうと決める。社長令嬢の名を捨て、一人のピアニストとしてウィーンでやってみよう。引き止める直也にも別れを告げ、髪も切り、シャツにジーンズの服装で洸の元へ向かう亜沙子。
そんな亜沙子を駅で見つめた洸は、全身でぶつかってくる彼女にたまらない愛しさを感じ、ついに力いっぱい抱きしめるのであった。
けろここさん的考察
うーん、基本的にこういう自分に正直な女性は好きなんですが、振られる直也さんがもっと好きだったので、いまいち亜沙子嬢に共感出来ませんでした。でも、陽の末裔でもありますが、パーティーシーンの華やかさなどはとても美しくて見ごたえありました。また、洸のピアノのシーンは3コマぐらいしかないんですが、たったそれだけにもかかわらず、音のタッチや息遣いが伝わり、市川ジュンの画力の確かさを感じました。