朱の群れ

 「陽の末裔」に続く「女性」を扱った読み切りシリーズとして、Office Youに掲載。
 ただし第2章までで「病気」のために休載となっている。
 平成17年5月にあおば出版から文庫サイズのあおばコミックス『朱の群れ』として刊行されました。


序章 凛子
(1990.5)

 昭和25年6月、東京。
 高村凛子は親戚の紹介で「婦人の森」編集部に就職する。
 「面接」のつもりで出かけた日、彼女はいきなり「見習い」として、編集長の命令で、社員の花本女史について、「婦人平和会議」に行くこととなる。
 公会堂の前には、「会議」を邪魔しようとする男達がたむろしていて、凛子はつい啖呵を切ってしまう。彼女にも手出ししようとする男達。それを収めたのは、顔に傷のある一人の男だった。
 「会議」では、衆議院議員の北川操や、自由婦人連合の会長である如月かの子らが語る。凛子はその熱さに心打たれる。「さがしてたものに 出会った気がする」
 凛子はもともと東京に生まれたが、戦争中田舎に疎開し、戦争が終わった後も、そのままその地で育ってきた。やがて弟は東京の学校に行くため家を出ていく。そして22歳の彼女には縁談が持ち込まれる。例えば地主の息子。だけど凛子の心はこう言っている。「違うわ 落ち着かない しっくりこない」
 ここには自分の欲しいものは無い。そう気付いた彼女は上京することを決意する。
 上京直後、男に絡まれる凛子。その時、一人の男が彼女を助ける。「いい度胸だ」と言ったのが、公会堂の前で彼女を助けたあの男だった。既に彼女は男と会っていたのだ。
 翌日の編集部で、前日の「会議」を見た自分の思いを彼女は話す。それを聞き、編集長は自分の思い描いていた別冊の「婦人の森」の新しい企画を彼女に任せることにする。
 さまざまな分野に居た先駆の女性達の姿を―――


第1章 理想學校
(1990.9)

 大正10年7月、東京。
 女子高等師範を出たばかりの田村朝子は、高等女学校のお遊戯のような体育の時間に幻滅していた。オルガンに合わせてのダンス…それも着物にはかま、のままで。
 だが生徒の皆が皆、そんな状況に満足している訳ではなかった。体操の時間がもっと欲しい、とか、家政の洗い張りが何の役に立つのか、とか疑問を持つ少女も居ることはいた。
 だが女子教育の方針は「良妻賢母の育成」にある。そういう時代だった。「なのに」学校の掃除を雇い人に任せてしまう、そんな矛盾を朝子は感じてもいた。
 そんな中、朝子は会議で体操の時間の内容の変更を提案する。「遊戯と普通体操」から「運動競技」を取り入れるとして。さすがに反対は出る。「過激だ」と。リベラルな家庭に育ったからそんなことを言う、と反論する教頭に、彼女は言う。「普通の少女たちの知的欲求や好奇心に応えるところ―――それが女学校じゃないかとわたしは思いますね」専門の学校は色々ある。だけど女学校はそういうところではない。だからその中で広く学んで交友して、その中で可能性を見つけるところだと。
 そんな中、一人の少女が転校していく。羽仁もと子設立の「自由学園」。7年制の女学校で、自立と自由をうたったところだという。例えば校内の美化清掃も生徒達の責任で行われるような。朝子をそれを聞いて「うらやましい!」と言う。
 そんな中、彼女は体操の内容を変更させる。弱気な校長をいいことに、彼女はできるうちに色々やってしまおう、と思うのだった。野球部も作ってしまう朝子。夏には「私人として」海水浴に生徒達を誘う。
 その夏休みの海岸で、準備運動をする彼女達を誘おうとするきょうだいが居た。あっさりかわす朝子。逃げ腰の生徒達。その時別の男の足を踏んでしまい、怒鳴られ、逃げ出す生徒達。
 落ち込む彼女達に朝子は言う。「これが世間というものよ」。学校の中、少女でいるうち守られているけれど、卒業し、家庭におさまるにしても、自分で切り抜けていかなくてはいかない。自分と家族を自分で守ることが大切なのだ、と。
 夏休み後、さすがに校長と教頭に呼び出される。問題を引き起こしたと。だがそこで彼女は、「これ以上の過激などあの子たちの出てゆく世の中にはいくらでもあります それに比べたら 学校の中で跳んだりはねたりすることのどこが過激ですか」彼女は学校に脅しをかけたのだった。
 教頭は言う。枠にはみだす婦人に育てては本人の将来がかわいそうだ、と。
 そこで朝子は問う。「だってあなたはどうです」教頭だって、枠から飛び出した職業婦人ではないか、と。「自分だけ優越敵立場にいるなんて ずるい」。
 そして彼女はそのままその学校で進んで行ったのだった。

 凛子の書いた、最初のこの原稿は、借家の母屋の夫人だった。現役の女子高校長である。
 夫君は実業家で、あの海で彼女に魅せられ、口説きおとしたのだと。


第2章 奔流の人
(1990.12)

 大正11年、初冬。
 詩人 滝口翡水の家庭では、妻の多花が家賃の催促を受けていた。その現場を見た滝口の友人の榊は、彼女達の生活に疑問を持つ。
 滝口は、普段家にあまり寄りつかない。放蕩三昧の生活を送っているという。
 そしてその妻の多花は、そんな夫とはまるで違う、家の中でのおっとりした生活を送っているように―――彼には見えた。
 彼には不思議だった。何故なら多花は、その昔、滝口と結婚するまでは、彼等の仲間内で一番の詩才の持ち主と言われていたのだ。その次が滝口だった。
 だが多花は今も詩を書き貯めているのだという。湧きあがってくる何か、を。榊はそれを見せて欲しいと乞う。
 そんな中、滝口が帰ってくる。その姿は、彼の目から見ても、自信、傲慢、我儘、無礼、すべてを魅力として持つ男だった。
 夜、家族が眠った後、言葉を書き付ける多花。子供の泣き声で目が覚めた夫は、彼女に「来い 抱いてやる」と言う。たまにしか帰らない夫に反応する彼女の身体は、「いつまでも娘のようだな」と言われる。
 翌日また滝口は出かけていく。そこに小料理屋の女が訪ねてくる。精算だったら本人にする、という女。多花はその後ろ姿に内心つぶやく。「だったら来るんじゃないわ!」
 ある日、榊が彼女の詩が掲載された雑誌を持ってやってくる。連載をも可能だ、室生多花として、編集と直接対峙したら、という榊。だが多花はしばらくは間に立っていてほしい、という。自分は夫の帰りを待っていなくては、と。
 榊はまたある日、滝口が悪酔いして街で女に介抱されているのを見る。見かねて「そのへんの小料理屋」で滝口を休ませる榊。スランプなのだ、という。そんな姿を見たことが無い榊は驚く。
 滝口は、多花に対して、苦行の相など見せたくはなかったのだ、と。彼女は自分の意志で滝口に惚れ抜いて、あの家にじっと籠もっているのだ、と。多花は娘の頃と同じように、夫に恋しているのだった。
 滝口は言う。「少女の情念というほどの恐ろしいものに 囚われているのは実は私の方だ」
 「奔放・自由・激情の作風の滝口翡水の家庭」はその作品から伺うことができなかったが、「情熱の詩人 室生多花の熱愛するその夫」はやがて知れ渡ることとなる。


私的考察

 という訳で、これも伊能さんに感謝です。
 さて「朱の群れ」。体調不良で未完、という形となっています。かなり残念です。
 まあ同時期のSAKURAの「冬の海で待ってる」もそれで前後編となっていることから、それは確かなのでしょうが、「集英社」であるのと、「第2章」に「婦人の森 別冊」と出ていないあたり、そして凛子の存在が消えているあたりに、一瞬疑惑も走ったのですが。
 まあそれはそれとして。
 「未完」の残念さは、「序章」に出てきた人が全く生かされることなかったあたりではないでしょうか。彼女達がただの狂言まわしで終わるのか、それともちゃんと彼女自身のビルディングスロマンになるのか(構成的にはそういう感じを伺わせましたが)判らないし。
 ワタシの頭で考えられる、こういう連作話のセオリイとしては、
・序章で登場人物とその状況で一気に出しておく
・章が進むごとに、取材した相手に対する思い(感想)というものを持つことによって、成長していく
・序章で張った伏線をちゃんとつないでいく
・最後にはそれがまとまる
 というとこですが、そういう意味では、まず最初に出てきた「男」が誰で何なのか、がまるで出てこないままに終わってしまったりしてます。編集部の人は「脇役」だろうからともかく、彼はちゃんと凛子さんに関わってくる(だろう)キャラだったから、彼がちゃんと出てくるまで話が進まなかったのが残念です。
 で、内容としては。
 序章には、「陽の末裔」でおなじみな方々がずいぶん顔や名前を出してました。操さんは衆議院議員になり、かの子さんは自由婦人連合の会長となっている。(卯野さんが出てこないのは、「別のシリーズ」であるけじめでしょうな)
 …時期的には、「ハンバーグ・アプレゲール」とも同じあたりなんだけどね。
 田舎で、自分の欲しいものが判らない彼女が、しっくりくるものを見つけたあたりはやっぱりいいです。
 第1章は、「女子教育」でしたね。確かに女学校というのは、カリキュラム自体がまるで男子と違った訳ですわ。例えば田辺聖子さんが、「欲しがりません勝つまでは」の中で、女学校から女専を受ける時に、男子用の問題集を使っていたら、まるでレベルが違っていた、という話もあったし。そんなレベルも違えば、教科内容も違う。そんな中で「変化」を加えようと思ったら、実に大変。でもこの話の主人公の朝子さんはそれを前向きにすんなりとやってしまうのよな。方法としては、「台所の伯爵夫人」のたけをさんのように、「変えるときには一気に努力姿勢を見せて、それからなじませていく」に近いかな。
 第2章はこの流れから行くと、ちと不思議だったというか、びっくりしたというか。「少女の情熱」の怖さという奴です。ワタシはこれ読んで、「ああ確かに」と思ったけど。見ようによっては、多花さんは夫の本当の姿を見ていない訳だし、それはそれでいいのか、という疑問も残るのかもしれないけれど…
 例えば、アイドルやロック・ミュージシャンが、自分の作り出した姿で女の子に恋させる。それに女の子は夢中になるんだけど、今度はその女の子に自分が恋してしまった場合、果たしてアイドルくんは、「本当の自分」をさらせるか?
 この話の場合、結局夫の滝口さんの方が、彼女に惚れているのだ、と解釈しました(笑)。偶像を追う少女の情念ってのは、怖いよー。
 もしこの滝口さんが「本音」を見せてしまったら、彼女はどうするのだろうね?